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自己紹介

幼少期~大学時代

新潟で生まれ長岡で育ちました。好奇心旺盛で気になることがあると頭よりも体が先に動いてしまう活発な子どもでした。小中高と地元の学校に通い大学で東京に行きました。大学ではスキー部に入りノルディックで全学のインターハイに出場、医学部の大会ではリレーで優勝を経験しました。何事も楽しむ性格で美術館巡りや落語にもはまり、上野や新宿の寄席に通っていました。旅行で行った青森ではねぶた祭りに参加し最前列で掛け声をかける役をさせてもらいました。あの時の高揚感は忘れられません。

医師を目指したわけ

子どもの頃からクリニックに来ている子ども達の声を聞きながら大きくなったこともあり医師という仕事が身近にあったような気がします。両親からは医者になれとは言われたことがなく人の役に立つ仕事をしたいと漠然と思っていました。病院にお世話になることもありいつの間にか身近な職業から、なりたい職業になっていました。医師になり友人の病気の相談にのった際、病気を見つけることができ「医者の息子と言われていたけど本物の医者になったんだな。」と言われた時は嬉しかったです。

小児科医を目指したわけ

医師になり小児科を目指したのは小児科医として働いていた父の影響ももちろんありますが、研修医時代に担当した患者さんとの出会いが一番大きかったです。熱が長引くためにご両親が心配して救急外来を受診した赤ちゃん。泣くことしかできないものの何かを必死に伝えようとしていました。診察所見から入院が必要な病気を疑って小児科入院となり、入院後の検査で自分の疑った診断が確定し適切な治療で後遺症なく退院されました。そのお子さんが元気に退院してくれた時、自分ではうまく病状を伝えることのできない子どもの代弁者になれたと思いました。大人に比べて診察や検査も大変ですが、子どもが困っているサインを受け止めて治すことができる小児科医にやりがいを感じました。小児科医は将来なんにでもなれる可能性のある子ども達の未来を支えることができるこれほど素晴らしい仕事はないと思います。

アレルギー専門医を目指したわけ

新潟大学に入局して県内外の病院で勤務をすることで多くの先生方にご指導をいただきました。その中でアレルギーに興味をもったのは、東京での初期研修病院で食物アレルギーの負荷試験を担当させてもらった経験があったからだと思います。その当時はまだ新潟県内では食物経口負荷試験は一般的ではありませんでした。小児科医になり最初の病院でも食物アレルギーで困っているお子さんに出会い負荷試験を行いました。その後も働く中でアレルギー疾患で悩んでいる患者さんを多く診る機会があり、また自分の子どももアレルギーがあったため深く勉強したいと思うようになりました。アレルギー専門医の先輩との出会いもあり、群馬大学に国内留学しアレルギーについて深く学びました。群馬ではアレルギーの診療だけでなく海外での学会発表、アレルギー家族会や患者さんとのアレルギーキャンプにも参加しました。新潟に帰ってからは食物アレルギー児への対応について教育委員会などの行政と関わり、教育現場で子ども達が安全に安心して過ごせるよう話し合いを続けています。

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