コンピューターと人類の滅亡
未来の世界がどうなっていくか、誰しも興味を持つことと思います。その未来をわたし達に示してくれた人の中に手塚治虫がいます。彼は今から30年以上前に、医学、科学がまだ黎明期の時代に、将来起こるであろうことを的確に予測しました。そのため、彼の漫画は今でもまったく違和感なく受け入れられています。我々が生きているこの時代を正確に予言しているのですから、さらに未来の予測も正しいのではないかと考えるのが自然でしょう。では、次の時代をどう予測したのでしょうか。彼の予測の中の一つにロボットと人間が共存する「鉄腕アトム」の世界があります。つまり機械文明の将来像です。
焦点をコンピューターとロボットにあてますと、最初は人間を助けるための機械が、徐々に機能を増やされ、意思を与えられ、さらにロボット権(人権のロボット版)を与えられ、そして最後には人類を滅ぼし機械の世界を作ろうとするものまで出現してきます。人間の手助けをするようにプログラムされたコンピューターがどうして人間に反抗し、人類を滅ぼそうとするのか、その時感じた大きな疑問でした。
今から20数年前、「2001年宇宙の旅」が放映されました。この映画は、コンピューターが「意思」を持つことをテーマにしています。この映画を観て漠然とでしたが背筋が寒くなったことを覚えています。この当時コンピューターは身近にはなく、頭の中で思い描くだけで、あまり実感がわきませんでした。しかし現在では、かつてのスーパーコンピューターが備えていた機能を持つパソコンが各家庭に1~2台ある時代になりました。コンピューターの進歩は目覚しく特に記憶、演算の分野では人間の能力をはるかに超えています。しかし意思を持つコンピューターは未だ出現していません。では如何にしたら意思をもてるのか。つまり、自己の判断能力を如何にしてつけるか。今までの方法論は、全ての可能性について演算を行い、そしてその中から答えを選び出す。その為に演算能力の優れたスーパーコンピューターを進歩させてきたのです。しかしその延長上には「意思」という答えはなかったようです。この答えは人間の思考過程を考察する中より導き出されるようです。人の脳の進化で重要なことは、以外にも物を忘れることだというのです。つまり思考するのに不必要なものをあらかじめ消去しておくのです。この事と意思を持つことがどのように繋がっていくかは私には説明できませんが、いずれにしても意思を持つコンピューターは人の脳をモデルにして設計されていくことになるでしょう。今では、脳の研究は医学者の手から全ての科学者へと拡がり、もっともホットな分野となっています。
もしこのまま科学の進歩が続けば、必ず意思を持つヒト型コンピューターができてくると思われます。つまり人間と同じ発想をする機械ができるのです。本来、機械やコンピューターはヒトの生活を豊かに、便利にするために作られてきました。ヒト型コンピューターは自分を自分のモデルである人類の一員と考えるようになるでしょう。ヒトの本質が博愛なのか破壊なのか、言い換えれば善なのか悪なのかははっきりしませんが、歴史を振り返れば両者が混在しているかのようにも見えます。モデルとなる脳が、シュバイツァーかヒットラーかで人類の将来も大きく変わるのではないでしょうか。つまりヒットラータイプの脳がモデルとなれば人類は滅亡の危機に直面することになるでしょう。私が最初に感じた疑問、つまりコンピューターがどうして人類を滅ぼすのかの答えは、コンピューターの根底に人間の本質が内蔵されているからなのかもしれません。
人類はパンドラの箱を開けようとしています。その一つは、人の遺伝子の全解明です。そしてもう一つは、このヒトの脳の仕組みの解明ではないでしょうか、人間の探究心は、例えそれが基で人類が滅びる事がわかっていても自己の欲求を満たすために続けられていくことでしょう。
(1997.4.17 ぼんじゅ〜る)