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子ども達のために戦う小児科医会

[2012.07.03]

県の小児科医会の会長を辞して6年余りがたちますが、その頃の記憶はだいぶ薄れ、楽しかった思い出しか残っていません。県小児科医会立ち上げの数年後から会に参加させていただき、諸先輩と緊張の中お付き合いをさせていただきました。特に廣川、田中、大川先生にはゴルフの手ほどきを受けたり、花柳界を覗いたりと本当に有意義であり楽しい時間を過ごさせていただきました。そんな中、私が副会長、そして会長に推挙されたのは、なぜなのかよく理解できませんでしたが、引き受けた以上は全力でやらねば申し訳ないとの思いで始動しました。

私が会長に就任した平成12年までの小児科医を取り巻く状況は、今とはかなり違っており、まだ老人医療が主流で小児医療は隅に追いやられた時代でした。これは一つには小児科医の医療界、医師会そして社会的な立場が弱かった事にもよりますが、なにより内科、外科のメジャーと老人医療の時代だったと思われます。しかしこの頃より、少子高齢化が現実なものと認識され、医療、福祉、年金を将来支えてくれる小児にようやく光が当たってきた時でもありました。この頃全国的にも、乳幼児医療費助成、小児救急、予防接種の広域化、プレネイタルビジットなど子どもそして子育てを支援する芽が芽生えてきていました。

こんな状況の中の船出でした。まず、基本理念を廣川前会長の掲げられた「子どもたちの未来のために」とし、常に「子ども」の利益を考え方の中心に据え活動を行うこととしました。解決しなければならない課題として、乳幼児医療費助成の拡大、小児救急医療の充実、予防接種の広域化と個別化の推進、小児医療、特に病院小児科の不採算性の改善などがありました。これらの課題に取り組むには、がん治療と同じく、しっかりした戦略、戦術が必要でした。会員を増やすこと。財政基盤を盤石にすること。情報の開示と共有化を図り、医師間そして社会の皆さんと繋がること。そのためにメーリングリスト、ホームページの立ち上げ、例えば医療費助成の全国比較などの情報の発信を行うこと。郡市医師会、県医師会との連携を深めること。マスコミに積極的にアプローチして世論の形成を。小児科医会の法人化。子どもの事はまず小児科への流れを作ることなどでした。そしてその実現に向け各種委員会を立ち上げ、また各地域の小児科医会の組織を強化し、全体で有機的に機能できるようみんなで手分けして動き出しました。その後、皆さんの奮闘努力で多くの成果を得ることができました。課題解決のキーポイントは、何よりも会員の皆様の志と情熱ですが、医会の法人化、組長の考え、マスコミによる応援も重要でした。法人化はこれまで任意団体であった医会を、社会的人格と行政がそれ相応の対応を行う会に変えました。組長の考えは、最も大きな決定権を持ち、乳幼児医療費助成拡大は、知事選を契機に平山知事の考え方が変わったことによりますし、小児救急の充実は、泉田知事の選挙公約の賜物でした。また、マスコミは、世論の形成に大きな力を持っていますし、組長の政治判断にも影響を与えます。

これまでの活動の中で学んだことは、「子どもの利益、権利」を考えの中心に据え、子どもたちと子育てを応援する人々を支援することが、結果的には、小児科医会の主張を実現させる事に結びついてゆくことでした。そして心に残ったことは、気持ちを一つに、目を輝かせ、楽しそうに取り組んでいる参加型の会の力がいかに凄くまた面白いかです。これからも多くの難題が立ち塞がることと思いますが、笹川新会長のもと子どもたちのため、戦い挑戦していただきたいと思います。

このような素晴らしい新潟県小児科医会に皆様と共に参加し活動できたことを誇りに思い、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

                              2012.7 新潟県小児科医会会報

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