長島忠美君を偲ぶ会
長島忠美君を偲ぶ会
孜孜の会 会長 太田 裕
私たち 孜孜の会は、カンボジアにおける「米百俵スクール」の開校、支援を始め、長岡そして社会に貢献することをモットーにこれまでいろいろな活動に取り組んで参りました。その中で、私たちの精神的な大きな支えとなって参りましたのが衆議院議員の長島忠美君でした。しかし誠に残念な事に8月17日急逝されました。
彼が人間として政治家として世の中に登場してきましたのは中越大震災の時でした。中越地震での山古志よりの全村避難の様子を全国民が注視する中、長島氏の村長としての采配、本人の村民に対する姿勢に国民は強く感銘を受けました。神の啓示のごとく全国民が長島忠美氏が自分たちを導いてくれる人物と納得し、国政への進出を後押ししてくれました。まさに全国民により選ばれた山古志の国会議員となりました。国会議員となった後も仮設住宅に住み、最後の1人として留まり、自らの態度で村民への気持ちを表しました。彼の誠実で人々に寄り添った政治姿勢は変わらず、自民党が下野し、東日本大震災が起きた時も、野党でありながら最も足繁く被災地を訪れ、住民と語り合った姿が思い起こされます。その後、復興副大臣として手腕を遺憾なく発揮されました。そしてこれからの活躍が大いに期待されていました。
彼が亡くなった後、孜孜の会の皆さまに諮り、喪の開けた10月7日、偲ぶ会を開催する事となりました。100名を超える方々の参列をいただきました。そして忠美君の奥さん、家族の皆さんにもおいで頂き、また衆議院議員、長島忠美氏を支えてこられた秘書の皆さんにも参列していただきました。
私がこの会を是非、孜孜の会のメンバーでやりたいと思いましたのは、何とも言えない悔しさからでした。忠美くんのご葬儀に参列させていただき、その時、一番心に残っています事は、ご焼香された皆さん一人ひとりの目に涙が溢れていたことです。皆さんが彼の死を悼んでいた事はもちろんですが、言葉にできない悔しさをにじませてしたのではないでしょうか。私も彼の死を未だ受け入れられず、まだ悔しさでいっぱいです。奥さんの久子さんにお聞きしたところ、彼本人が1番悔しかったのではないかとの事でした。
そんな彼を最もよく知り理解している、私たち孜孜の会のメンバーが一堂に会し、暖かくお送りするが大事ではとの思いに至りました。その会の中で、忠美君のような政治家がいたことを語り伝えていくこと。彼の思いと志を私たち一人一人が、例え形は違っても、繋いでいかなければならないこと。そして私たちにとって誇りであり、大きな支えであった忠美君とこの時代を一緒に生きてこれた事への感謝とお礼を捧げました。そういう強い思いを皆で共有できた偲ぶ会となりました。
最後に、同窓会の皆様方におかれましては、質実剛健、和して同ぜずの和同の精神を体現した政治家がいたことを心に刻み、長島氏の志を繋いで、これからも益々、社会に大いに貢献していただければ幸いと存じます。
2017.12.20 長岡高校同窓会会報